株式会社キンレイ

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キンレイとは
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料理
立地・建物・設備
サービス
専門レストラン
全国展開
キンレイの歴史 創業当時の外食事業への熱い思いをそのままに、いま新たなる展開のとき。
古川部長 PROFILE
関西第1営業部 部長
古川 武
(ふるかわ たけし)
1994年 入社
関東出店、そして全国へ・・・

1号店、2号店につづいて1994年にできた学園前店も、大いに繁盛しました。まだ教育システムも整っていなかった時代なので、新入社員は入社後3、4日ですぐに店舗に配属され、すべてを現場で覚えていかなければいけませんでした。ホールもキッチンもとにかく大忙しでしたが、経験の中で学ぶことがたくさんありました。

着々と店舗を広げていく中、1997年には第1回のアメリカ研修を実施。チェーン店の先達でもある国を訪れ、次々レストランを巡り、食べては写真撮影することの繰り返し。料理や店舗の内装、サービスなど、さまざまな異文化に触れる毎日でした。海外にまで足を延ばす研修の根底には、積極的に行動し、自らの体験で新しい知識を吸収していこうという考えがあったのでしょう。

2005年には、長年あたためてきた関東への出店計画が実現し、その後埼玉や神奈川にも店舗がオープンしました。同じかごの屋でも、お客様の利用のされ方など違いがあり、新たな業態を立ち上げたような難しさがあります。そう考えると今、まさにキンレイの第二創業期です。これからも全国のお客様に豊かな食事のシーンを演出できるように力を合わせて頑張っていかなければいけません。

私が入社した当時の部長が、
「将来は60店舗まで店を増やしたい。」
という目標を立てておられました。
実際その通りに、それ以上になりましたね。

1号店(宝塚店)オープン前イメージ図

林部長 PROFILE
管理部 部長
林 英彦
(はやし ひでひこ)
1995年 入社
若いちからを店づくりに生かす

かごの屋の立ち上げは、実は非常に厳しい状況からでした。冷凍食品事業を中心としていた当時、外食事業はかなり苦しい経営状態で、これ以上続けても仕方がないというところまで来ていたのです。しかし、誰もが事業への熱い思いをなんとか実らせたかったのでしょう。まさに進退をかけて1993年、宝塚に第1号店をオープンさせたのです。この1号店が空前のヒットとなり、今日の多店舗体制が構築されました。

かごの屋の成功を追いかけての採用となった当時は、入社1年半ぐらいですぐに店長になるなど、若い力でどんどん店舗を動かしていました。その時代に比べて今は人事面での仕組みはしっかり構築されてきましたが、他の業種や企業よりも比較的早い段階からさまざまなポストが用意されているところは変わらない点です。店の方針を決定したり、多くのスタッフを指導したりなどの機会を若い年齢から持つことができます。こうした経験は、人生においても貴重な財産となるでしょう。今後5年、10年と優良な企業に育っていき、一流企業としてフードビジネス業界を牽引するのが、かごの屋であり、キンレイであればと考えます。

かごの屋1号店オープン当時のメニュー

「こんなメニューあったあった」「手作りやったなぁ」

岩坪統括KT PROFILE
営業本部 統括キッチントレーナー
岩坪 竜二
(いわつぼ りゅうじ)
1991年 入社
出店ごとに数々の仕組みを構築

創業当時のかごの屋は、極端に言うと‘なんでも屋’。全国のさまざまな店の業態を参考にしていたので、洋食あり鍋ありとメニューにも統一性はありませんでした。当時のコンセプトは、「Reasonable price for high value」。多彩で価値のあるメニューをお値打ち価格で提供する考えは、お客様にも受け入れられたようです。店舗は大忙しで、その日の営業をこなすのに手いっぱい。キッチンにも仕組みは何一つなく、仕入れもカンでやっているような状態でした。そして5号店ができた頃に、ようやくメニューを年に一度替えるという仕組みが完成しました。これは、現在ご提供しているフェアメニューの始まりとも言えます。当初はメニューブックも自分達で写真撮影して、内容を紙に書いて…と手作り。10号店が出店したあたりで、やっとプロのデザイナーや印刷業者に頼めるようになりました。

トレーニングセンターが開設したのは、2001年。それまでのトレーニングは、外部の施設を借りて、あるいは各店舗に集合して行っていました。料理を学ぶ環境も本当に整えられてきたと感じます。今後も、スタートした頃の熱い思いを継承しつつ、誰もが入って良かったと思える魅力ある会社へと歩んでいけたらと思います。

何から何まで、
とにかく全てをみんなで作りあげたからこそ、
今のキンレイ・かごの屋があるんでしょうね。